私の不動産投資のDNAの話をさせていただきます。
今から30年以上も前ですが、私が高校2年生の時、通っている高校の進路指導で「理系コース」か「文系コース」の選択を迫られました。高校2年生のアユカワ少年は、当時選択材料を持っていませんでした。なぜなら自分が将来どんな仕事に就きたいかというビジョンのかけらも持ち合わせていませんでしたから。
「理系」?「文系」? 選択のヒントになるようなものが全く見つからない。
唯一あったのは、
「親が求める方向には行きたくない」
この要因ひとつで、私は「文系」を選択いたしました。
高校二年生から文系コースに進み、そのまま大学受験。東京の大学に合格し上京いたしました。
大学生活では学問より演劇活動を重視し、その甲斐あってか(?)大学卒業後に東京のメディア企業に就職しそのままエンターテイメントの世界に身を置くこととなりました。
そんな私が、就職して26年。
不動産業をベースに独立。
30年以上も前、父と母は私に理系に進むことを望んでいました。
何故ならば・・・・・
アユカワ家は代々、不動産・建築業を営み関わっていたからです。
父も、兄も、父方の父も母方の父も、いや親戚一同、不動産・建築業に関わっていたのです。そんな中大阪を飛び出しひとりエンターテイメントの世界にどっふりつかったタカヲ少年。
30年過ぎた今、スタートライン戻った気分です。いやいや戻るべくして戻ってきたのかも知れません。
私の尊敬する人物の一人、それは私の祖父です。
当然すでに他界しています。元気なおじいちゃんの記憶は私の中学生のころまでしかありません。
しかし数少ない記憶の中で、祖父が関わった大阪の沢山の不動産・建築の話が頭に残っています。
先日に、大阪に出張がありまして、祖父の足跡を確かめに行きました。
地下鉄御堂筋線の「動物園前」駅で降りると、今でもありました。商店街。
その商店街を抜けたところに、おじいちゃんが関わった不動産・建築物があるはずです。探してみました。キョロキョロしながらその建造物を探しました。
見上げると今でもありました。
そうなんです。
「通天閣」なんです。
通天閣
ちょっと通天閣の歴史を紹介いたします。
初代通天閣
初代通天閣は、1912年(明治45年)に作られました。この地「新世界」に、今でいう遊園地として「ルナパーク」として開発され、そのシンボルタワーとして「通天閣」が作られました。
二代目通天閣
初代通天閣は第二次世界大戦で焼失してしまいました。戦後「大阪のシンボルを」ということで、財界・政界からの働きかけもあり今の通天閣が誕生いたしました。
1956年(昭和31年)に誕生しています。
その後は、ビリケンさんの像が置かれたり、平成の改築が行われたりして現在に至ります。
今では国の登録有形文化財に指定されています。
その通天閣に行ってきました。
その通天閣に行ってきました。
現在の通天閣は、ひとことで言うと「素晴らしい観光地」です。しかし私にとってはとても違和感がありました。
なぜならばかつての通天閣のイメージはそうではありませんでした。
私が中学生・高校生時代には、「絶対に通天閣の近所に行ったらあかん」と言われていました。
治安が悪かったからです。「高校生が行くとカツアゲに会う」「正常な人が歩いていない」「猥雑な街、新世界」冗談抜きでそんな怖い場所でした。
そこが今では「観光地」です。アジアからの観光客でごった返し、串揚げ屋通りができ、かつてにはない活気のある「観光地」です。
展望台から見る大阪は、それはそれは趣のある風景でした。
ちなみに東京スカイツリーは800メートル。通天閣は100メートルです。
展望台から見えるアベノハルカスの方がはるかに背が高いのです。
そんな愛らしい、通天閣。
私が今回訪れた目的は一枚の刻印プレートでした。通天閣の柱に、二代目通天閣建設に携わった方々の会社、名前が記された刻印プレートがあると。
しかし順路を追って展望台・資料館・お土産物屋を見てまわりましたが発見することができませんでした。
出口まで来てしまった私は、通天閣職員らしき方に尋ねてみました。
「二代目の通天閣の竣工に関わったの方々の名前を刻んだプレートがあると聞いたのですが、残っていますか?」
職員さんはやさしく教えてくれました。
「今内装工事している場所があるけど、そこにあった思うな。その柵を超えたところ、入ってええよ」
中に入れていただき、見つけました。
1956年(昭和31年)竣工時に関わった方々の名前。
ありました、私の祖父の名前がそこに。
賛助という欄にありました。賛助ですから、どれだけ建設に関わったのかは分かりません。しかし名前が残っていることに感激いたしました。
戦後大阪のシンボルとして再建された「通天閣」。ところが長い間「大阪の怖い場所」として扱われていた「通天閣」。
21世紀に入り、アジア各国から外国人観光客がユニバーサルスタジオに遊びに行く感覚で通天閣に来るようになりました。
この風景を祖父が見たらどう思うでしょう?
「アホ、こうなると思とったから、作ったんやないか」
そう言うでしょうね、関西人ですから。(笑)
自分が死んだ後も、後世に「夢」を残す。
悔しいぐらい祖父に憧れます。
通天閣に私の不動産人としてのDNAを見つけました。
「おじいちゃん、負けてられへんわ」
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